消費者情報教育として求められるもの

今後の消費者教育には何が求められるのだろうか。特に環境・安全に関連する商品・サービスの消費に関連して、消費者はどうあるべきなのかという視点から、筆者は消費者情報教育の必要性を感じる。そこで求められる内容は、(1)環境・安全問題の全体像を知ること、(2)関連情報を収集・整理する手法を身につけること、(3)論理的に思考して意思決定に結びつける、の3つのステップで整理できると考える。環境・安全に関する話題に対して冷静に賢く対応するために、まず対象となる情報が環境・安全情報全体の中でどのような重み・意味を有するのかを知るという第1ステップ、冷静に判断するための情報の収集・整理方法を身につける第2ステップ、そして客観的事実情報をもとに論理的に思考して意思決定に結びつけるという第3ステップである。以下、各ステップについて消費者教育としての課題を簡単に説明する。

(1)環境・安全問題の全体像を知る
環境・安全に関する判断の第一歩は、環境・安全問題の全体像を把握することから始まる。特に環境問題は細かなところだけをみていても、右往左往するだけで何の前進もない。環境問題の全体像はどのように把握すればよいのか、地球次元で見た場合、生活に密着した次元で場合について、それぞれの概要を知ることが必要だ。その上で、その消費にかかわる問題の度合いを冷静に把握する必要がある。

具体的に環境ホルモン問題を例に考えてみよう。環境ホルモンだけではなく、難分解性の有害な有機化学物質全般を指しても良い。マスコミ等を通じてこれらの情報を得て、危険を感じ取る消費者は多い。確かに対策は必要だ。しかし、どういう対策が要求されるのか冷静に考えてみよう。一般にはマスコミで話題になった商品、つまりある種の魚類に環境ホルモンが含まれていると聞くと、数ヶ月だけその魚を食べるのを控え、「化学物質」に異様に神経質になって「自然派」を銘打った商品を買いあさり、環境ホルモンは悪いものだと声高に叫ぶことによって環境ホルモンが逃げていってくれるような錯覚に陥る。残念ながら、こういう状況が多い。

しかし、冷静に考えればどういうことになるか。まず、環境ホルモンから守りたい対象は誰か?多くの人々は子供や孫たち、またその後の子孫のためにと答えることだろう。実際、妊娠中の胎児等に悪影響を及ぼすとして恐怖の対象になっているのだから、出産を終えた世代の人たちがさほど怖がることもない。子供たちの将来を守る、つまり社会全体での環境ホルモン存在量を減らすことが望まれるのだ。しかも、難分解性が怖がられる最大の理由は、一旦放出されたものが生態濃縮等で世界中に広がり、魚介類等を通して人の口に入るという循環があるからだ。日本だけで騒いでも、世界的に規制が進まなければ環境問題は解決しない。実際、環境中に排出される環境ホルモン類の最大の放出源は、途上国の農薬類だ。その途上国の農薬類の放出の原因は経済的なものが大部分を占める。また、有害廃棄物が経済的先進国から管理体制の甘い途上国へ流れ、環境中に広まっていくというルートも問題視されている。

結局これらの次元の問題解決に結びつくのは、環境・社会安定に配慮しながら対象となる途上国の経済力を高める方向に働きかけることが近道だと気付く。企業の中でも、そのような開発に協力しているところもあり、テレビCM等でたまにお目にかかることがあるが、残念ながらなんとなく企業イメージを高めるために用いられているだけで、扱いが軽い。消費者が、地球規模での環境に着目した企業の商品を選択し、その企業の売り上げが伸びるような消費社会になることが望まれるのだが、そのような芽は現在のところみられない。本来、こういった視点から、冷静に論理的に考える消費者リーダーが頭角を現すことが望まれる。

なお、現在は環境ホルモン等に関心を有する消費者リーダーは、その大部分が「日本国内」での合成化学物質排除(有害性の程度は関係なく)の運動に勢力の大部分を削がれているように見受けられる。身近な有害物質を警戒することも大切だが、もっと重大な問題が消費者レベルでは放置されてしまっている。まず、環境問題というものの全体像を把握したうえで、取り組む対象の意味を吟味しなければ、環境運動は空振りに終わってしまう。

(2)関連情報を収集・整理する手法を身につける
消費者情報教育として求められる情報の収集・整理方法の重要なポイントは、多方面からの意見を収集して整理することである。インターネットの普及とともに、消費者情報の収集環境は飛躍的に改善された。検索のためのキーワードを入力するだけで、商品・サービスについての説明を入手することができる。しかし、それをうまく活用するための手法が身についていない。

特に環境や安全性に関連する商品・サービスは、他の商品・サービスに対すして相対的に安全であること、また環境への負荷が少ないことを宣伝材料にする傾向がある。実際、インターネット上の洗剤、化粧品、食品、整水器等の検索を行うと、従来からの一般品が人体に危険で環境に悪影響を及ぼすとし、それに対して自社製品が人体にも環境にも無害であるとする情報が優先的にヒットする。もしも1件のみ、または上位数件程度の情報を採用したならば、非常に高い確率で安全・環境に関して一般商品に問題があるとする結論を導くことになる。環境・安全に関する情報を収集する場合、1件だけの収集では全く不足であり、複数の情報を収集したからといっても十分ではない。 基本的には、項目ごとに対立する双方の立場からの情報を収集することが求められる。ある化学物質に関して発ガン性があるとする情報があったのなら、その情報を否定する情報を収集するのである。まずは論点を整理し、それぞれの論点別に賛否両面からの意見を並べて、その根拠から科学的に理があるのか否かをを評価できるようにすることが求められる。

一般消費者がこのような形で情報を収集・整理する手法を身につければ、それだけで悪質な情報は発信しにくくなる。科学的に誤りのある情報とは、科学的根拠が示されていない情報、または示された科学的根拠(らしきもの)が非科学的である情報を指す。根拠のない情報は、このような情報整理を行うことによって、その根拠がないことが明白になるために容易に淘汰できる。科学的であっても非科学的であっても、根拠として示されているものがあれば、それを整理すればよい。

このように書くと、非常に手間がかかり面倒であるように感じる人も多いと思うが、実は科学的に考えることができる人とは、上記のような思考経路を頭の中で組み立てることができる人なのである。消費者の科学的な判断を尊重するなら、このような思考パターンを身につけることを消費者教育の重要な目標の一つに掲げるべきである。

(3)論理的に思考して意思決定に結びつける
上記の情報収集・整理ができれば論理的に思考することは本来は難しいことではない。数値のごまかしや論理のすり替え等、やや複雑な要素の入った情報の判断は一般消費者にとってやや難解な部分もあるが、論理的に考えようとする姿勢があれば必ず科学的な思考が可能となるはずである。しかし、実際には論理的思考を消費者の意思決定に結びつけることは、それほど容易ではない。 ここでは、その阻害要因について、商品・サービスの売り込み手段を例にとって考えることとする。

ある企業が新たなコンピュータシステムの導入を計画しており、そこにコンピュータシステム販売業者が売り込みをかける場面を想像しよう。その場合、種々のコンピュータシステムの中から、性能、アフターケア、価格等を総合して評価し、最も優れていると判断したものを導入することになるだろう。公的機関での導入の場合、予め各種性能項目を点数化したものを公表し、その総得点で機種を選択する等の手段がとられたりもする。よってコンピュータシステムを売り込むには、開発・製造担当者に他社に負けない性能の商品を作ってもらい、なおかつその性能をしっかりと相手に伝えることが求められる。 しかし、理詰めでは差がつきにくいものも多い。ファッション衣料、料理などを売り込む際には、商品を強烈に印象付けたり、なんとなく良いイメージを持たせる等の手段がとられる。また場合によっては「この商品を買ってくれないなら、お宅の○○を導入するのは見送る」、「この商品を買ってくれるなら娘さんの就職を何とかしましょうか」などの商品・サービス自体の価値とは関係ない交換条件等を販売戦略に用いる場合もある。

商品・サービスの消費について科学的に捉えたいと考える場合、まずは購入の動機について上記のような違いがあることを理解せねばならない。1つめのコンピュータの例は理詰めで説得するというパターンであり、医療・医薬品、金融商品なども理詰めで商品・サービスの良否が判断される。ここでは「理性型要素」と名づけよう。2つめのファッション衣料は感性に訴えるパターンで、その他に映画、音楽CD、誕生日プレゼント等も同様である。「感性型要素」と名づけよう。そして3つ目の手法は、世間一般ではモラルに反すると判断される手法であり、消費者問題に関連するものとしてはネットワーク商法などの連鎖販売取引が含まれる。実際に団地単位、また学校の父母会の単位で、半ば強制的な商品購入も広がっていると聞く。購入せねば村八分状態になるというようなものだ。「理性型要素」と「感性型要素」が商品・サービス自体の価値に関する購入者の自発的動機に関するものであるが、この3つ目の購入動機は対象商品・サービスと直接には関係しないものである。ここでは「強制型要素」と名づけることとする。

さて、環境・安全に関連する商品・サービスに関しては、上記のどの要素が最重視されるべきであろうか。環境影響、安全性ともに、理詰めで考えるべきものであり、当然そこでは理性型要素が尊重されなければならない。売り手も買い手も理性型要素のモノサシを用いてコミュニケーションがとられねばならない。理性型の要素のモノサシとは「科学」そのものなのである。

しかし、感性型要素や強制型要素が環境・安全に関連する商品・サービスの評価に割り込んで、感性型