一部自治体の合成洗剤反対・石けん推進の方針に対して

先日、日本石鹸洗剤工業会が発信する情報の中で、少々問題のある内容が紹介されていた。自治体の中に、石けん・合成洗剤問題に関連して、合成洗剤を否定的に捉えて石けんを推進するところがあるとのことを示した調査結果である。

いまだに地方自治体が“合成洗剤反対運動支援” !? “合成洗剤対策”“石けん推進” に関する要綱等」の実情

一度決めたら止められないの!?自治体の合成洗剤反対運動支援―「合成洗剤対策」ならびに「石鹸推進要綱/同要領」に関する調査結果から―

公的に合成洗剤を否定して石けんを推進する自治体は少数派のようだが、中には目を疑いたくなるような要綱を存続しているところもある。しかも、業界から申し入れても改善には至らないとのこと。

筆者は合成洗剤・石けん論争を研究テーマの一つとして取り組み、社会に向けて発言してきた者であるが、今回伝えられたように、自治体の中に合成洗剤を否定して石けん使用を公的に推進する方策をとり続けているところがあるとするならば、それは由々しき問題であると考える。特に今後の消費社会にとって極めて重大な問題を含んでいるものと判断する。以下、これからの自治体が環境問題・安全問題との関連で消費者行政として担うべき役割は何か、また洗剤論争に関連して現時点で自治体が石けん使用を公的に推進することにどのような問題を含むのかということを示したい。

筆者は1995年頃から合成洗剤を過度に否定し排除しようとするのは誤りだと訴えてきたが、2002年に「石鹸安全信仰の幻」(文春新書)を発表した後は、発言することがめっきり少なくなった。私が問題視する合成洗剤有害論の大部分については、著作等を通して論理的に否定してきたつもりだし、合成洗剤有害論のどこが間違っているかを述べた私の主張に対して、論理的に反論する意見を目にしたこともない。よって再反論の必要もない。その後、見聞する合成洗剤有害論は、私が否定したものの繰り返しばかりである。また筆者自身も石けん推進を目指す人々には名を知られているようでもあり、聞く耳のある人に必要な情報は既に発信したものと考える。

さて、合成洗剤排除・石けん推進を方針として掲げる自治体は、どのような情報を根拠としているのであろうか、その点を知りたい。合成洗剤排除・石けん推進を熱望する市民グループが存在することは筆者も理解している。しかし、過去に数多くの論議がなされ、自治体の中でも関連する論文等を収集し報告書を作成してきたところもある。国内外の関連文献を収集・整理したならば、基本的には合成洗剤排除との方針には結びつかないと思うのだが。今もなお合成洗剤排除・石けん推進の方策をとり続けなければならない理由は何なのだろうか。当該方針を掲げている自治体には環境関連研究所やセンターを有しているところも多い。現時点で合成洗剤排除を自治体レベルで謳うことが適切ではないことを認識しているであろう経験・知識の優れた多数の人材を自治体内に有しているはずだ。それがなぜ消費者行政には反映されないのか。もし、その方針の根拠たる情報を有しているなら広く世間に示してもらいたい。

消費社会の中の環境・安全等に関連する商品・サービスについて考える場合、基本的には科学的な視点が望まれる。「科学的」といっても、そこには環境・安全に関する知識を土台とするという意味と、論理的に考えて判断するという2つの意味合いが含まれる。前者は医学、化学、生物学、その他の専門用語等を扱うことを意味し、後者は種々の情報を整理して論理的に判断することを意味する。専門的知識が重要なことには変わりはないが、論理的な意見交換・判断の姿勢が身につけなければより適切な消費社会は築けない。

具体的には知る科学のレベルでは、信頼される消費者リーダーの結論をそのまま判断の材料とする。「○○先生がAよりBが良いといったからそうに違いない」と判断する。一方、論理性を重んじる科学では、関連する情報の賛否両論を収集・整理し、自らの判断で結論に至る。合成洗剤排除・石けん推進の方針を掲げる自治体は、きちんと情報を収集し、自らの論理的判断をもとに、その方針に固執しているのだろうか。

今後益々深刻化・複雑化する環境問題・安全問題に対応する消費社会を築くために、消費者として論理的科学の姿勢を身につけていかねばならない。実際、論理的科学の視点から消費社会に接していこうとしている自治体では、商品の表示等に関して積極的に社会に働きかけ、不当な表示等を排除し消費者を保護するというシステムを確立させているところがある。モノサシはあくまで論理的な科学であるため、非科学的な悪質商法を抑制する効果は絶大なものとなる。社会貢献の度合いも目に見えた形で現れるので、関係職員にも活気が生まれ、真に望まれる行政の姿に向かって一致団結できる。そのようなレベルの組織にとって、専門家の知識や意見も一つのデータにしか過ぎない。あくまで最終結論は職員が自ら責任をもって下す。

こういう自治体等は、合成洗剤問題についても理解が進んでおり、合成洗剤を排除する方針を打ち立てたりはしない。職員の中には個人的に石けんを嗜好し、私的レベルで活動している人がいても、公的立場とは明確に区別する。過去に合成洗剤排除を求める市民との間に軋轢も生じたと聞くが、科学的に正しい情報を市民に伝えることが真の消費者教育であるとして活動し、見事な成果を上げている。合成洗剤をフリーパスにしているのかといえばそうではなく、実は環境、安全面等で、よりハイレベルの個別の問題指摘等を行い、業界がそれに対応すべく商品や表示を改善していく。今後環境問題が益々深刻化し、その対応策も困難となる消費社会を行政が如何にリードしていくかが問われるが、科学的な対応力を培っている自治体にはその責務を十分に全うするであろうことを期待させる素地がある。

一方で、そのような状況からは程遠い自治体もあるようだ。人口・予算規模から最上位グループに属するであろう府県クラスの自治体も含まれる。一旦定められた合成洗剤排除の方針を取り下げるとなると、一部の市民から猛反発を食らうであろうことは理解できる。しかし、そのまま放置すれば、「市民が望むから」では通用しない深刻な負の遺産を背負い込むことになることを理解して頂きたい。それは公的機関としての消費者教育を放棄することと等価である事を知ってもらいたい。問題点に気付かなかったのならば仕方のない部分もあるが、問題点が指摘された以上は速やかな対応が望まれるであろう。

筆者も、個人的な感覚で合成洗剤を嫌い、趣味等で石鹸を推進することが間違いであるとは思わないし、また種々の経験から、論理的に考える「科学」を消費社会全般の絶対的価値観におくというのも無理があると感じている。「一旦、クロだといったものは、何があってもクロである」というような生き様も、犯罪に結びつくような深刻さが伴わないレベルであれば、他人にとやかく言われる筋合いのものでもないと考える。個人的な感情よりも「科学的に」「論理的に」といった価値観を重視するのは、現時点では実は世の中のごく少数派に過ぎない。個々の消費者レベルでいえば合成洗剤排除・石けん推進の考えを有することが否定されるものではない。

しかし自治体となると全く別次元の話となる。合成洗剤・石けんの安全性や環境影響に関する文献やデータの収集度合いからみれば、日本でもかなり最上位に位置すると自負している研究者であるが、排除の根拠となるレベルの合成洗剤有害説、つまり石けんに切り替えることによって環境や人の安全性が高まるということを明確に示す文献・データ等を私は知らない。その筆者が把握している情報から判断すると、公的な立場から現時点で行動を左右する内容に合成洗剤排除を盛り込むのは絶対に間違っている。

このような状況が放置されるなら、私達は消費社会を科学的に考えることを放棄することに結びつく。なぜなら、公的機関の公的見解は、先に世の中の少数派であると説明した「論理的な科学」に従って動くグループの中心的存在なのだから。消費社会の中で論理的な科学を元とした判断を消費者教育の中で養っていくための母体は自治体しかありえない。個人レベルでの自由や個性が重んじられることは重要だが、商品の公的な推奨に絡んだレベルにまで個人の自由で左右されることは間違っている。

基本的には科学的な根拠に裏付けられた本当に良い商品が勝ち残っていくような消費社会を構築していくことが望まれる。根拠もなく思い込みだけで公的に推奨される商品が存在することは許容できない。科学根拠のない理由で自治体からある商品が推奨されるという状況下で、その自治体が、科学的根拠なく思い込みだけで販売する悪質商法に対してどう対応できるのか。自治体が安全・環境等の科学的根拠をもとに販売する各種商品・サービスを評価し、適切に指導していくためには、自治体自身が論理的科学の姿勢を身につけなければならない。そして、論理的科学を重視する立場からは、現時点で公的機関からの合成洗剤排除・石けん推進の方針が導かれるとは考えられない。

自治体の担当者等で、上記のような説明だけでは具体的な合成洗剤有害論の正誤の判断がつかないという方もおられるだろう。その時にはその有害論の発信者と私を呼んで、公開討論など何でもしていただいたらいい。但し、行司役をおいて論点を分散させずに、一つずつ論理的に明確な結論を得るようにすることが必要だ。論点は、合成洗剤を排除して石けんを推進するとの方針のもととなる情報に科学的根拠があるのかという一点である。自治体レベルで合成洗剤を排除することが正当であるという事を論理的に説明するよう、合成洗剤有害論の発信者に要請してもらいたい。

私も公的機関の「排除」に関わる仕事をいくつか経験したことがあるが、公的立場からの「排除」や「推奨」は実に重いことを身をもって知った。担当者は重大な責任を持って作業に当たる。その是か非かの判断のモノサシは曖昧なものであってはならない。あくまで「科学的な評価」がその全てだ。得た結論、その結論を導くに至る経過まで含めて、全てを晒しても良いように理詰めでしっかりと固める。そういった姿勢には全く頭の下がる思いがし、消費者を守る行政としての信頼性を感じ取ることができた。

合成洗剤を否定的に捉えて石けんを推進する方針を表明している自治体は、それだけの重みを感じ取っているのだろうか?

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  大矢 勝 (2006.1.11)