[4]合成洗剤v.s.石けん論争の経緯

大矢勝:2004.10.7]

日本国産の合成洗剤は1951年に登場しました。その後、1953年にワンダフル(花王石鹸)、1956年に台所用合成洗剤ライポンF(ライオン)が発売されました。ライポンFには厚生省から衛生面から使用を推奨する文章が提出されました。そして、1962〜63年に合成洗剤と石けんは使用量において逆転することとなりました。このように、日本で合成洗剤が登場したのは1950年代で急激に普及し、1960年代初めに石けんと主役の座を交代することとなりました。

合成洗剤有害説は1961年に人体への毒性と環境への影響について別々に出現しました。人体への影響としては、ミヨシ化学で社員の不審死事故があり、その原因としてABS(分枝鎖型アルキルベンゼンスルホン酸塩)による中毒死との疑惑が生まれ、ミヨシ化学はABSの危険性を訴えるパンフレットを発行して自社の石けん販売に結びつける戦略をとりました。そのとき、社員の健康診断を行い、ABS危険説を主張したのが、当時ABSの毒性研究を行っていた柳澤氏でした。

一方、環境関連ではABSの生分解性が低いために、世界各国で下水処理場や河川での発泡問題が生じていました。その問題を紹介するとともに、日本国内でもその問題対応が必要であることを主張する論説が新聞に載りました。

1962年には柳澤氏はABSの溶血性・酵素障害作用を指摘し、中性洗剤が無害ではない旨の研究結果を記者発表しましたが、同日中に厚生省は通常の使用では問題ない旨の発表を行いました。これが、本格的な合成洗剤の毒性に関する論争の始まりでした。

ちょうど同年、ライポンFを誤飲した男性が死亡するという事件があり、大きく報道されました。この事件は日本におけるその後の合成洗剤有害説に決定的な影響を及ぼしました。この事件は遺族からメーカーと国を訴える裁判に発展したのですが、動物実験や種々の海外の誤飲事例などから合成洗剤が死亡の原因とは考えがたい点、また原告側が当初訴えていた「当該容器に厚生省の無害表示があった」との証言への事実関係上の矛盾点が指摘されたことなどを受けて、結果的には合成洗剤が死亡の原因であるとは認められないとの判決が1967年に出され、控訴もされませんでした。しかし、判決が出されるまでの間に、「合成洗剤は人を殺傷する毒物であるから排除すべき」との強い論調の意見が消費者グループに浸透し、当初はABS使用は注意すべきとの論調でABS危険説を主張していた柳沢氏らも消費者グループの先頭に立って引くに引けないABS排除論を唱えるようになってしまいました。

1970年にはABSの発泡問題に対応するために生分解性を高めたLAS(直鎖アルキルベンゼンスルホン酸塩)への転換(ソフト化)が80%に達しました。なお、日本では1961年に問題発覚して1970年で80%のソフト化でしたが、英国では1950年に問題発覚して1960年に70%のソフト化、1966年に完全ソフト化となりました。ドイツは1959年に深刻なトラブル発生して1964年に法的にABS使用の禁止措置がとられました。米国では特に実質的な問題は表面化しませんでしたが1953年に対策委員会が発足して1965年にソフト型への転換が完了しました。

1970年代は、人体への毒性に関しては催奇形性が大きな注目を集めた時期です。催奇形性とはその化学物質を妊婦が摂取すると奇形児が生まれるという性質で、消費者にとってはきわめて衝撃的な話題ですが、三重大学の三上氏が1969年頃から1970年代にかけて、精力的に合成洗剤の催奇形性を示す研究結果を発表しました。しかし、三上氏以外からは催奇形性を否定する研究結果が国内外から多数発表されました。

混乱を収めるため、三上氏らを含めた国内4大学で同時に同一実験を行うというプロジェクトが実施されましたが、結果的には三上氏の当初主張した合成洗剤の催奇形性は1976年に公式見解として否定されることになりました。

1970年代は環境関連では合成洗剤に含まれる「リン」をめぐって大論争が巻き起こりました。特に琵琶湖での市民運動は有名で、合成洗剤メーカーに対して大変な圧力を加える原動力となりました。結果的には、合成洗剤メーカーは合成洗剤の無リン化を目指すこととなり、1980年に無リン合成洗剤が登場し、現在では日本の合成洗剤の大部分(硬度の高い沖縄を除く)で洗剤は無リンが当然であるという、世界的にも珍しい環境配慮型の洗剤組成が定着しています。

このように、1970年代までの合成洗剤をめぐる情勢は、環境関連では合成洗剤有害説が通って改善策が図られましたから洗剤反対の消費者グループの勝利として捉えられますが、人体への毒性に関する有害説は、何れも科学的な論争で打ち勝つことができませんでした。特に催奇形性に関する論争は、特定の研究者から再現性のない結果が連続して出されるという問題ある結果を導きました。そして1980年より、合成洗剤に反対する消費者運動は、環境面での成果をもとに、より良い洗剤ならば合成洗剤でも認めるという方針のグループと、あくまで石けん以外の合成洗剤は一切認めないとするグループとに二分されることとなりました。

1983年には「洗剤の毒性とその評価」が発行されました。これは、界面活性剤の毒性に関するレビューで、公正を期するためにそれまでに合成洗剤論争に関連していた人物は除き、熊本水俣病や新潟水俣病を指摘してきた市民派学者をメンバーに加えた執筆者グループで仕上げた超大作で、洗剤関連の毒性についての専門家レベルの情報の決定版ともいえるものです。この書籍の発行後、専門家レベルからの毒性問題指摘はほとんど見られなくなりました。

1986年には石けん推進運動の中心的拠点とされる琵琶湖地区において、石けん運動が風化したという報道があり、1994年には石けんの原料である油脂採取のために熱帯林破壊や農薬問題等につながっているとの情報で消費者グループがショックを受けたとの報道がありました。1997年に日本生活協同組合連合会から発行された「水環境と洗剤」では、環境影響の面で、特に合成洗剤が石けんに比べて劣るものでないとするデータが示されました。このように、従来から科学的に洗剤を見ていこうとする専門家グループ、またその情報を直接的に受ける科学的レベルの高い立場の消費者グループ等では、合成洗剤を敵視する方針の運動は弱くなってきたといえるでしょう。

一方で、1990年以降、石けん製造・販売企業がリードするゲリラ的な合成洗剤有害説が幅を利かせるようになってきました。その特徴は、せっかく築いてきた洗剤に関する「市民科学」を打ち壊すようなレベルの低いもので、石けんの純分が高いものが安全性や環境面で優れているといった根拠のない情報や、石けんの有害性はゼロであるとする情報等、今までの洗剤論争の意味は何だったのかと落胆させるばかりの内容です。

現在、インターネット等の媒体を介した、機能水や健康食品、民間療法などの悪質商法の問題が表面化しつつあります。これらの商法の一環として合成洗剤有害説は扱われるようになってしまったといえるでしょう。従来の合成洗剤有害説は、科学的な正誤は別として、基本的には消費者の安全を第一としたコンシューマリズム、または科学技術第一主義に対する反発等のポリシーが核となっていました。しかし、現在の合成洗剤有害説は、石けん等の販売組織が営利目的で発信するもの、またその情報に踊らされた消費者の発する情報が大部分を占めています。洗剤に関する科学の危機的状況にあるといえるでしょう。

洗剤論争年表
【1951】国産第一号合成洗剤ニューレックス登場
【1953】ワンダフル発売
【1956】ライポンF発売:厚生省より推奨文
【1961】ABS危険説(肝臓障害)登場
    ABSの発泡問題が注目される
【1962】ライポンF 誤飲死亡事件(1967原告敗訴)
    「合成洗剤の科学」(柳澤ら)発行
【1962-63】量的に合成洗剤が石けんを上回る
【1970】ABSのソフト化80%に
【1973】LASの催奇形性論争白熱
【1975】小説「複合汚染」発行
【1976】LASの催奇形性が公的に否定
【1980】合成洗剤の無リン化はじまる
    合成洗剤反対派の分裂
【1983】「洗剤の毒性とその評価」発行
【1986】石けん運動風化が報道される
【1994】石けん原料油脂による環境影響の報道
【1996】超コンパクト型洗剤登場
【1997】日生協より「水環境と洗剤」発行

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